曲がり角の惑い言

曲がり角ランデブーの人で、演劇を創ったり、あれこれする。

説教してください

SNSではつぶやけないので
こちらに書きます。

 

演劇に関わっていて
公演を打つとか
実態を学んでいくと
それなりに厳しく、
シビアな部分も分かってきます。

 

何をするにも最初は初心者、若輩者であるから、
経験のある先輩方からシビアなこと教えてもらうのは
とても貴重なことです。本当に有り難い。


ただ。


ただ、ことあるごとに
色んな時、様々な人から、多様な言い方で、
シビアであることを言われます。
それは仕方ないことです。

 

それを聞くたびに、
人によっては
またその時によっては、
迷ったり、悩んだり、躓いたりします。

 

悩むよね、人間だもの。

 

迷うよね、始めから完璧ではないもの。

なんか相田みつ〇みたいになってるけど(笑)


例えば演劇で才能がない等々で
それに気づいて潔く諦めて
普通に就職するっていうけど、
元々演劇の側にいなかった立場から言わせてもらえば、
演劇人がだめだったときの保障で
その他の仕事があるわけではないから。

 

こんなこと俺が言わなくても
元より演劇で食べていない多くの演劇関係者は
他で仕事をされているから、分かっていると思います。

 

表現活動、芸能・芸術活動で大成しないと
それを捨ててって言うけど、
いわゆる「普通の」社会人?と言われるんですかね、
それも全く違う世界とも言えないんじゃないかって思います。

 

そりゃ仕事で演劇のスキルとか知識を使う職場なんか
ほとんどないだろうし、
今の時代は演劇はおろか映画とか芸能、芸術と関わりがあるのは
ごく一部の企業くらいしかないけど、
要は何事も芸の肥やしになる。

それよりも前に世界を明確に区切り過ぎようとするのは
どうなんでしょうか?

 

世界を、
区切ることがダメなのではなくて、
区切ることにこだわり過ぎるのがよろしくない。

 

演劇(その他の芸術)の世界と普通の世界。

普通の世界だって、大工とかの技術職の世界もあれば、
オフィスで働く世界もある。
現実的に世界によって格差とかあるんだろうけど、
今の時代、手に職を、なんて言っているから
正社員の肩書なくなったら、俺は何もできないただの男です。

 

少し話がそれました。

 

つまり「正しい」とか「普通」なんて見る側によって変わるし、
何を言っても当てはまるところと当てはまらないところがあるもの。

 

中途半端に分かった気になっていて
中途半端な立場から言ってくれても
シビアだという分かりきったこと以外に何も響いてこない。

それこそ俺の知っている「演劇に命懸けて挑んでいる人達」には
絶対に響かない。

 

最近反省しているんですが、
観劇おじさんとなって
公演も打って
知り合いが増えて
ちょっと分かった気になっているのがダメで
考え直さなきゃいけないかなと。

 

どの世界も流れる水のように
形を定めることはなく、
留まるときもあれど、
その時の状況によっていかようにでも変わる。
連綿と過去から受け継ぐもの、引き継ぐものもあり、
少しずつ変えていくものもある。
「正しい」とか「普通」とか「一般」といった考えを理解しながら
その考え方すらも変わっていく。
それは、どの世界にいても同じこと。

 

こんなこと言ってるので説教してください。

マゾじゃないけど、甘いところとか青いところとか

あるので説教を受けたい。

厳しい現実を教えて下さい。

 

そう言ってて

「お前は何様なんだ!?」と言われそうです。

 

こう言っておきます。

「通りすがりの劇作家だ。覚えておけ!」と。