曲がり角の惑い言

曲がり角ランデブーの人で、演劇を創ったり、あれこれする。

『天使たちじゃない』に寄せて

終演してから、

上演中の怒涛のような日々に
一気に高ぶったものが収束していく過程で
色々な感情が湧き起こり
よく分からんことになってました。

 

観に来ていただいた方の多くから、
好意的なご意見やご感想を頂戴しているのに、
その中で「次は?」「次もやった方が良い」等の意見に対して、
自分の中の天邪鬼くんが反発を覚えて、
「絶対にやってやるか」「演劇なんか二度とやらない」
なんてことを思ったりもしてました。
情緒不安定ですね。

 

時が経てば・・・と言う感じなのか、
今は落ち着いています。
初めてのことだから上手く整理できてなかった、
それなのかもしれないです。

 

今回の作品は、
当日のパンフレットにも書きましたが、
自殺で亡くなった同級生の話を聞いて
そこから着想を膨らませて書かせていただいたものです。

そもそもその前にひねくれた堕天使の話を
書こうとしているところにそういった話を聞いて
そこから動き出しました。

自分なりの下手糞な鎮魂歌とも言いました。

 

本当にこの同級生が亡くなったことについては、
人づてにしか聞いていません。

 

ちゃんと自ら事実関係を確認をすれば良いというのが
正直なところですが、人様の生き死にを扱っておきながら
そこまでは踏み出せず。

 

それもあり「ご冥福をお祈りします」とまだ言えていない。
その言葉に代わるものが
この『天使たちじゃない』
と思っていただければという気持ちです。

 

結局、近しい方がこれを聞いても「卑怯」という言葉で
一蹴されてしまうとは思います。

 

今後はちゃんと向き合おうと思います。

 

情報がほとんどない中、自分が書く上で大事に思ったことは、
亡くなった彼女がどんな感情を抱いていたのか。

 

憎しみ、悲しみ、苦しみ、怒り、虚無、絶望、憤り、辛さ・・・。

 

おそらく本人にしか分からないものでしょう。
家族や仲の良い友人でも全ては分からないはずです。

 

こう思いました。

人の気持ちが分かってないと言われても仕方ないですが、
重い病で余命の宣告をされても、まだ生きれるのだろうと。
当たり前といえば当たり前ですが、
たとえ「余命1ヶ月です」と言われても、
じゃあまだ明日はとりあえず来るのかなって思うのではないか。
「いつ死ぬんだろう、明日かな」と思うこともあるかもしれないです。
実際自分が宣告されたらショックで、
今言っていることも色々と変わるでしょう。

 

それでも生きれるまで生きる。
不運にも事故や災害に遭ったり、
何かに巻き込まれたりするかもしれないですが、
生きれるまで生きようとする。

 

最近、著名な方の自殺報道が相次いでいる印象を受けます。
著名、無名などは全く関係ないですが、
公の数字でも日本では年間3万人が自ら命を絶っています。
未確認も含めるともっといるとの試算もあります。

 

どうしても限界はあり防ぎきれるものでもないですが、
ただやっぱり自ら死を選択するのだけは
やめて欲しいなと。

自殺したくなる気持ちは分かりますが、
実行してはいけないと!

 

ただもしそうなってしまったとしても、
あちらの世界で何か救いはないか。

そこからああいった話が生まれました。

甘い発想かもしれません。

 

現実でふと昔の知り合いと再会することって、
なんかそんなに悪い気はしないように思えます。
相当憎みあっていたとか特殊な関係は別としても、
同窓会とかで、今まで全く話したことない同級生に対しても
なんか再会できて、元気な姿見れて良いなって。
そう思った経験、ないでしょうか?

 

もし自分達が亡くなって
あちらの世界に行ったとしても、
彼女たちのように知っている誰かがいたら。

 

彼女達は安らかに眠ってなくても、
あちらで元気に頑張っているんじゃないか。
そんな思いを込めてみました。

天使でいる彼女に伝わったでしょうか?
バカにされても良いから、伝わってくれると嬉しい。 

 

とりあえず一旦、
天使たちやこの作品から離れて
また違うところへ行こうかと思います。

 

いつになるやら、
それが演劇か映像かは分からないですが。

 

今作『天使たちじゃない』の結びとして。

この作品に関わってくれた、観ていただいた、気にかけてくれた、
全ての方とモデルとさせてくれた彼女に感謝します。
ありがとうございました。